u2world2005-01-08

  • 読書中居眠り男 VS 図書館職員

図書館で、喧嘩していた。
居眠している男。本は足下に立てかけてある。いがぐり頭20代後半。
職員(60代:姿勢まっすぐ。正しさいっぱい社会派)は居眠りを注意、それに対し居眠り男は過剰反応。
居眠りぐらいで注意すんなとか、そういったことを声高に。
職員もちょっと頭に来た。冷静を装い道徳的注意。
居眠り男には細かい戯れ言に思えたようで、さらにつっかかる。
居眠り男側は規則の融通を利かせろといい、職員は素直に認めないことを規則を破る無法者という。双方、当然食い違い。職員、怒りを抑えたまま上の責任者を呼ぶ。
冷静な責任者に、食いつく居眠り。冷静さの歯止めができたことで、職員も徐々に私情を発揮。居眠りも時代錯誤発言。乞食!税金泥棒!と繰り返す。職員もさすがに最初の「お客様」から「おまえ」へ呼び方を改める。しまいには警察を呼ぶと言い出す始末。居眠りも悪いが、事態をそこまで大きくする職員も相当ずれている。あるいは過剰正義感病。自分が正義の権化だと信じている。迷い無し。
そんな午後の一時でした。両方、共感できないし。どうせなら殴り合いの方がみている方も納得。てか本読めないじゃん。うるさくて、くだらなくて。

  • 信号の渡り方

本日の朝日新聞(朝刊)、矢作俊彦がエッセイのなかで信号の渡り方についてふれていた。
矢作は、青信号はもちろん赤信号もなるべく信号を見ずに渡るそうだ。

もちろん車の様子を見て自分で安全だと判断した場合。そうすると周りのぼーっとしている人たちもつられて渡り始めたりする。でも、つられて渡る人と最初に自分の判断で渡ったヒトは違う。つられたヒトは見ているものが信号かヒトかの差で、やっぱり自己判断じゃないから。で、そういうつられる人が例えばイラク人質になったヒトに対して「自己責任」などというんだと。自分棚上げ過剰責任追求型。

ちょっと違う風に森村泰昌も赤信号を渡ることを「美術の解剖講義」のなかでふれていた。

・・・私の考えたベストの渡り方はこうです。
まず横断歩道にさしかかる少し手前の段階で、信号が赤であることを確認します。それからまだ誰も道路を渡っていないこと、車がまったくきてないことも見極めます。このようなデータを即座に集めて、一気にサッと渡ります。そして疾風のように去っていく。横断歩道の手前でちょっとでも立ち止まってはだめなんですよ。そんなことをすれば、あとからぞろぞろ人がついてきますから。あれよあれよという間に、その場から消え去ってなければなりません。

彼はこれを「美」と呼ぶ。制度からの華麗な逸脱。

午前中の図書館職員と居眠り男は、ほとんど個人間の問題にも関わらず、警察まで口に出す制度を隠れ蓑にして私情をいう前者型と、規則の抜け道を容認するよう要求するが逸脱する技術がない後者型が、双方どちらが優位になることもなく、ぐずぐずだった。役者不足。

  • aford

レイアウトの法則―アートとアフォーダンス

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