u2world2005-01-07

10+1 No.27 特集=建築的/アート的 Ten Plus One

10+1 No.27 特集=建築的/アート的 Ten Plus One

廃墟・建築・零年/小林康夫鈴木了二西谷修

2年以上前の対談。WTCの崩壊がユニバーサル・スペースの終焉を示していて、その後にミースではなく例えばアドルフロースのようなWTC的なものがない建築家がクローズアップされるだろうと予見していた。少しずつそういう兆候もあるけど、世界は相変わらずだ。あのときの崩落のシーンは周りに人が結構いてTVに釘付けで見てたけど、映画的だとか、2機目はわざと時差を付けてTVを通じて世界に流すためだとか、一般的な感想を皆興奮しながら口にしていたけど、一番印象だったのは、皆の生き生きとした目。興奮している。当の本人は人が死んでいることと目の前の映像はほとんど結びつかず、ただ数人の力がどうしようもなくでかいものを壊せるんだという可能性を感じていた。善悪とか悲しいとかそういうのはなかった。ただ、その数分後にWTCの巨大で高いカーテンウォールの表面をひらひらと木の葉みたいに小さい、ほとんど点のようなものが落下する人間だとわかったときに、初めて事をリアルに感じた。あまりにもでかい建築とあまりにも小さい人間。その対比は、飛行機が直撃した映画的なシーンよりずっと自分には重要だ。
その数日後、どこかの田舎町だかで、中学生か高校生くらいの男の子がセツナ機を一人で操縦してビルに突っ込んだ。彼は死んで、他に死者はいなかった。部屋にはWTCの犯人達に共感する主旨の遺書が残っていたというニュースが地味に流れた。アメリカ人である彼は、きっと家庭の中、あるいは外かもしれないが、マッチョな父性に押しつぶされていたのかもしれない。複雑な国だと思ったし、日本にいると強くて不健康な健康に満ちたアメリカしか知らないが、違う側面を見た。こういう繊細な感性がある一方、世界は高層ビルを建てまくってるし、WTC跡地でコンペまでした。呆れた。そういう無神経な奴らは完成したビルに全員集めてもう一度同じ目に遭えばいいとさえ思った。てか、いまも思っている。